長崎五島列島B&B歴史と風土を読む=第1回= of 五島列島 B&B




島の生活や島の人とふれあう 民泊の旅 

第1回 古里の信仰と歴史(キリスト教)


「カリスト九衛門」

若松島土井浦教会の横にカクレキリシタン関係の資料を納めたカリスト資料館がある。
彼は日向生まれ、各地で布教活動に従事、秀吉による弾圧をさけ活動は制限され、ついに僻地の島若松へ拠点を移す。以後二十七年間を全うした。
一六二四年彼は五十七才を以て若松島旅平浜で殉教した。このようにして、十六世紀に五島へ伝えられたキリスト教はその後の禁教令により、十七世紀前半にはキリシタンは居なくなった。現在の五島カトリック信者の源流は長崎県外海地方である。荒れ果てた五島の山野を開墾させるために、当時の五島藩は人口過剰で窮していた大村藩に目を付け、農民の五島への移住を要請(一七九七年)三〇〇〇人以上の人が押し寄せている。
五島、五島へ皆行きたがる。五島優しさ、土地までも……
聞いて極楽見て地獄、二度と行くまいあの島へ、と歌われ
この事はかえって隠れて信仰を守る事に有利に働いた。
しかし、信仰を黙認していた藩も幕府の意向もあり「宗門改めの節、一統へ申しつけ候」なるものを公布し取り締まりを強化していく。
五島ではこの頃から潜伏信仰へ入っていく。
いわゆる、カクレキリシタンである。
キリシタン洞窟.jpg



「キリシタン洞窟」

若松島地区に砂浜が美しい「白浜」と呼ぶ子部落がある。
明治のはじめに五島へ襲ったキリシタン弾圧の余波はこの地区へも波及してきた。
地区住民を当分の間洞窟にかくまうことにした。発見を恐れて煮炊きを制限していたが、不用意にも朝食の焚火の煙が沖を通る船に発見されたために、役人に連行され算木責めにかけられ、脚に重度の障害が残ったという。
この話は、今も子孫に語れている。

昭和四十二年その悲しみを祈念するため「平和キリスト像」が洞窟入り口に建てられ、観光スポットの一つとなっている。迫害「五島崩れ」は明治六年二月二十四日の高礼撤去まで続いた。その頃、若松村桐の青年ガスパル与作が傷治療の為長崎に居て「自分らは師と同じ心の者」であることを告げた
キリシタン発見である、ガスパル与作は父の許しを得て郷里の伝道師となり、五島各地のキリシタンは先を争って天主堂の門を叩いた。

「鉄川与助と本県の教会建築」

教会堂を訪ねる旅は、建築家鉄川与助の足跡をたどるたびである。
鉄川家は仏教徒であり、七百年前京都より移住与助は棟梁の子に生まれた。明治の中期に出会ったフランス人神父(ド・ロ神父)から西洋建築を精力的に吸収し独自の天主堂
建築様式を確立した。
日本の近代建築の黎明期にあって、それは中央の潮流から見れば異質のものであっただろうが、島に生きる人々のカトリック復活の息吹と敬虔なる祈りを神聖な宗教空間として見現する工夫と懸命の努力があった。
そして、それらの教会の多くは今も静かに人々に守られている。

まとめ

上五島には二十九の教会のある中、冷水教会は与助の最初の設計施工し最初の遺構である。又、青砂が浦天主堂、頭ヶ島天主堂は国の重要文化財に指定され、長崎の教会群を世界遺産登録へと目指す動きもあります。

若松B&B代表 大坪鷹子
十周年記念誌出典「上五島の歴史と風土」より




やすらぎと感動を

長崎県の最西端の島、五島列島の北部にある新上五島町。周りを海に囲まれた島です。 7つの有人島と60の無人島からなり、 早春の咲き香るつばき、夏の海はコバルトブルーに輝く海と大地の恵みを肌で感じる島。心を癒す美しい自然と若松B&Bがあなたに最高の旅を御提案いたします。

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